富山県の黒部峡谷鉄道の終点・欅平(けやきだいら)駅と黒部ダムを結ぶ関西電力の工事用輸送路(黒部ルート=約18キロ)は令和6年6月の一般開放に向けて、県と関電の準備が着々と進んでいる。観光路としての名称も「黒部宇奈月キャニオンルート」に決まり、県は「立山黒部アルペンルート」に並ぶブランドに育てようと意気込んでいる。
黒部川は水量が多く、高低差もあるため水圧を利用してタービンを高速で回して発電する水力発電に適している。しかし、あまりに険しい山岳地帯のため黒部川第3発電所や同第4発電所(通称・くろよん)、黒部ダムなどの建設に伴う大量の工事用資材を運ぶことができず、黒部ルートと呼ぶトンネルが整備された。
欅平からくろよんまでの6・5キロは「上部専用軌道」(地下トロッコ)に乗り換える。専用軌道の機関車は引火事故を防ぐために燃料を使わない蓄電池(バッテリー)式で耐熱式の客車は5両編成となっており、1車両の定員は10人(新型コロナウイルス禍で身体的距離を保つため現在は5人)。もともと資材輸送用のため人が立ち上がれないほど車高は低い。
ルート上には、吉村昭の小説「高熱隧道(ずいどう)」で知られる高熱の岩盤がある。工事中はセ氏160度を超えたため、掘削作業員に別の作業員が後ろからホースで水をかけ続けなければ、すぐに熱中症で倒れてしまうほどだった。トンネルが貫通すると風が通るようになり、気温は40度超に下がった。それでも、夏場でもひんやりした他の区間とは異なり、高熱区間に近づくと蒸し暑さを感じるほどだ。
30分余り専用軌道に揺られると、くろよんに到着する。自然環境を保護し雪崩被害を避けるため、完全地下式の珍しい水力発電所で現在は無人運転となっている。保守点検の人員しかいないためか、所内は静けさに包まれている。
玄関には、関電の初代社長、太田垣士郎のヘルメット姿の肖像とくろよん建設を決断した際の有名な言葉「経営者が十割の自信をもって取りかかる事業 そんなものは仕事のうちには入らない 七割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する それでなければ本当の事業はやれるものじゃない…」をかたどったレリーフが掲げられている。
実際、北アルプスを貫くトンネル工事は、地下水を大量にため込んだ軟弱な地層「破砕帯」に阻まれ、難航を極めた。人が吹き飛ばされるほどの出水と崩落する土砂に立ち向かった建設作業員の物語は、木本正次の小説「黒部の太陽」に描かれ、三船敏郎と石原裕次郎主演で映画化もされた。7年の歳月と延べ1千万人の労力を投じた難工事は広く知られるようになった。
4つの発電機が並ぶ幅22メートル、高さ33メートル、奥行き117メートルの巨大な発電所は岩盤をくり抜いてつくられた。4基の総出力は33万7千キロワットと原子力発電1基分の3分の1程度だが、昭和36年の運転開始以降、高度経済成長期を迎えて深刻化していた関西の電力不足の解消に貢献した。
発電機が並ぶ床には、補修用の予備機として直径3・3メートル、重量12トンの発電用の水車が置かれている。巨大な羽根のついたステンレス製の水車に触れると、水力発電の威力を実感できる。
くろよんの難工事はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」でも取り上げられ、平成14年のNHK紅白歌合戦では中島みゆきさんが同番組の主題歌「地上の星」をくろよん構内で熱唱。非公開のため黒部ダムに比べて知られていなかったくろよんの知名度は一気に高まった。寒さと疲労で動けなくなった中島さんはくろよんの応接室で年を越し、飾り棚にはサインや当時の写真が飾られている。
くろよんは、堤の高さ186メートル、幅492メートルに達する日本を代表するダム「黒部ダム」と水路でつながっている。高さは国内首位、貯水量は東京ドーム160杯分の2億立方メートルに及ぶという。アーチ式の雄大なダムは一般公開されており、毎年、多くの人が訪れる。ダムはくろよんより545メートル高い位置にあり、この落差を利用して勢いよく水を流し効率的に発電している。
人や物資がくろよんからダムに向かう場合、「インクライン」と呼ぶ急傾斜のケーブルカーとバスを使う。高低差が大きいため、実際に乗車するとほぼ垂直に昇降する感覚でスリル満点だ。
黒部ルートはコロナ禍前、関電が年間約2千人に限って平日の無料見学会を開催していたが、抽選では倍率が約4倍と人気が高かったため、富山県が一般開放を求めていた。
この結果、関電と富山県は平成30年に一般開放に向けた協定を結んだ。関電は、落盤防止のため壁面にモルタルを吹き付けるなどの安全対策工事を日常業務に差し支えない深夜に実施。専用軌道の車両も一新する。現在、各車両の出入り口は側面に1カ所のみだが、万一の事故発生時に前後の車両に移れるよう非常用出口を設ける。
約3時間の黒部ルートの旅行中は安全面に配慮してヘルメットをかぶる必要がある。一度に見学できる人数には限りがあるため富山県は旅行会社を通じ、毎年8千~1万人を対象に、県民向けの日帰りツアーのほか、立山登山や温泉宿などを組み込んだ東京や大阪など遠方からの1~3泊ツアーなどを企画・販売する計画だ。
関電の担当者はこう語る。
「苦難を乗り越えて切り開いた電源開発の歴史を体感してもらいたい」
(藤原章裕)